ボクは自分の誕生日を素直にめでたいと思えない。
もちろん誰かに祝ってもらえる事は嬉しいし幸せな事だと感じる。
けれど、何がそんなにめでたいのだろう?といつも思う。
だってボクはただ1年間生きているだけだし、誕生という事そのものがめでたいと言うのであれば、祝福されるのはむしろ産みの親なのでは?と思う。
あ、それともひょっとして生きると言うこと事体が無自覚にものすごく大変な事と認識されているのか?
それが故に1年間無事に生きれた事を祝い祝福するのか?
まぁ?こんな風に考えるのは恐らくボクの思考が「生」ではなく「死」へと向かっているからだと思う。
きっとボクにとって大切で興味深いのは「誕生した日」ではなく「自分が死ぬ日」なのかもしれない。
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